2月
17
2012

人生はらせんのよう

人生の始まりと終わりってらせん状のようなものを登っていくイメージに似ていると思いませんか?

人生を至極全うに歩むことを前提として解説すると、まずらせん(=人生)はいくつもの色の異なる線(=才能・特徴 )が集まって出来ています。
生まれて、1つ2つ3つといろんな経験を重ねてこのらせん(=人生)を登っていきます。E.地点はまだまだ子供の段階です(3歳くらいのイメージ)。
時が経ち、C.地点くらいまで来ると結構知識や経験も増え徐々に自分の考えを持ったり、いろいろ意見を述べるようになります(20歳前後のイメージでしょうか) 。

例えば、C.地点(20歳ぐらい)の人とD.地点(30歳ぐらい)の人が意見交換したとします。
経験や知識においてD.地点の人のほうが多いため、大体はD.地点の人のほうが適正な言動ができます。
もちろん、これは“至極全うな場合”ですので、例外もたくさんあります。
人によっては20歳の人のほうが、30歳の人より経験も知識も多い場合も普通にあります。
また、このらせん(=人生)から人に突き落とされたり、事故で落ちてしまったり、自ら飛び降りてしまう人、落ちそうになって片手一本でぶら下がって 這い上がってくる人もいます。
こうしていろんなドラマを経験して人は踏み外さないように登っていきます。

面白いことに、C.さんとD.さんは意見が食い違いますが、C.さんとB.さんはなんとなく話が合います。歳は倍近く違うのにです。
これは地球に昼と夜があるように、光が当たっている時と影になっている時があるものです。バイオリズム的なものだと思います。
C.さんは階層(人生のステージ)は違いますが、バイオリズム的には同じ左側にいるのでB.さんと合うんです。
D.さんは光が当たっていてイケイケ状態なのでC.さんやD.さんとは基本的に合いません。
そのうち、合うようになったり逆になったりすることもあります。 “至極全うに”進んだ場合は合わないと思います。

若いころから一つの色の線ばかりを見ながら成長する人もいます。石川遼くんやイチローなどはいい例だと思います。
多くの人はどの色が自分の好みなのか、自分に合っているのか分からなくて悩んだりもしますね。

また、D.さんの拡大図を載せていますが、全ての人に当てはまると思います。
人間は、自分が直接経験したり感じたこと+他(TV・書籍・ネットなどなど)から仕入れた情報(=知識)をもとにして想像可能な範囲がすべてだと思うのです。ですので、それ以外の事は「えー!」とビックリすることばかりなはずです。もちろんこれは人によって様々ですのでC.さんの言動がD.さんの範囲に入ってなかったとすれば、意味不明な言動ということになりそこに関してはC.さんを理解できません。最悪の状況下では事件につながることもあるでしょう。

何が必要かというと、この仕組みというか、このことを“知っている”だけでいいのです。というかそれしかできないのです。

これを知っていると、ちょっと変わった人やおかしなことを言う人に出会っても反応が違ってきます。むしろ面白いと感じるようになるかもしれません。
「お!この人、範囲外!?」みたいなノリで(笑)

・・・と、こんなことを昔から感じていたので書いてみました。

お読みいただきありがとうございました。
また、乱筆乱文失礼しました。感想やツッコミ歓迎しまーす。

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